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西浦町の歴史
私たち服部ゼミでは、西浦町の活性化プロジェクトの一部として、西浦町の歴史を調べる取り組みを行っている。
活動としては、図書館で文献を調べる取り組みを行った。
そこで、西浦町に関する様々な歴史を知ることができた。深草西浦町は、太古は湖岸の草深い荒野の時代から、農地時代、陸軍練兵場の時代と長い間人が住んでいなかった。もともと無住の地であるため歴史と言っても極めて少ない。ただ古来、有名な「鶉の里」「鶉床」が、この西浦町にある。
西浦町の地名が初めて歴史上に現れるのは奈良朝時代である。紀伊郡条理の深草の地は「深草里」「深草東外里」「飯食里」「松本里」などに区分されて、「松本里」が現在の西浦町一円にあたる。明治3年(1870)の古図に、初めて「西浦」の地名が、現在の野田町の西に見える。西方に湖沼があった名残であろうか。昭和24年(1949)京都府知事告示で「深草西浦町」となった。
このような歴史を知ることで、学生みんなで西浦町に関する知識を深め、町の活性化への取り組みに活かしていきたい。
服部ゼミ
このプロジェクトは龍谷大学政策学部の服部ゼミが中心となっておこなっています。私たち服部ゼミでは街の魅力を発見する活動を主に行なっています。フィールドワークやコンペなど日々さまざまなことに挑戦しており、現在は西浦町のプロジェクト以外にもカフェ研究を行なっています。
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